七回の時が巡り。
2002年7月28日今日はばーちゃんの七回忌で法事に行って来ました。
私は両親が共働きの事情で小さい頃は学校から帰ると母が迎えに来るまでばーちゃんちにいましたので、思いっきりばーちゃん子でした。
時代劇好きなのもばーちゃんたちと再放送見てたからだし。煎餅とお茶が好きなのもそう。
しゃきしゃきしていて、でも優しいばーちゃんでした。
私もそうですが喘息もちだったばーちゃんは、最期の方は強い薬のせいで少し暈けてしまったり、とても発作で苦しんだりして辛かったけど、でも、みんなに見とられて亡くなるときは穏やかだったそうです。私はその時には会えませんでしたが・・。
でも、亡くなったという気はしていないんですよね。また、ふっと会える気がする。
和尚さんが、「死ぬというのは浄土にまた『生まれる』ということだよ」と言っていました。そこには、欲の入れ物である肉体は持っていけないのだと。
仏というのは、目に見えるものでもなく、感じることもなく、ただそこにある『有り難い(有ることが難しい)』ものなのだと。
・・・心、ってことなのかなぁ、とふと思ってみました。
死んだら人は仏様になるのだといいます。
仏様というのは、この人界で生きていく人間の心の中にいて、そっと支えてくれるものなのだそうです。
大事な人の記憶。思い出。愛情。
そういうものなのかな、と。
私は敬虔な仏教徒ではないけども、仏教のこういう考え方は好きだな。暖かい気がして。
・・そんなことをちょっと考えました。うん。
ところで原稿が上がりません。
手がつりました。腱鞘炎間近?(汗)すげ痛いんですけども〜・・。
私は両親が共働きの事情で小さい頃は学校から帰ると母が迎えに来るまでばーちゃんちにいましたので、思いっきりばーちゃん子でした。
時代劇好きなのもばーちゃんたちと再放送見てたからだし。煎餅とお茶が好きなのもそう。
しゃきしゃきしていて、でも優しいばーちゃんでした。
私もそうですが喘息もちだったばーちゃんは、最期の方は強い薬のせいで少し暈けてしまったり、とても発作で苦しんだりして辛かったけど、でも、みんなに見とられて亡くなるときは穏やかだったそうです。私はその時には会えませんでしたが・・。
でも、亡くなったという気はしていないんですよね。また、ふっと会える気がする。
和尚さんが、「死ぬというのは浄土にまた『生まれる』ということだよ」と言っていました。そこには、欲の入れ物である肉体は持っていけないのだと。
仏というのは、目に見えるものでもなく、感じることもなく、ただそこにある『有り難い(有ることが難しい)』ものなのだと。
・・・心、ってことなのかなぁ、とふと思ってみました。
死んだら人は仏様になるのだといいます。
仏様というのは、この人界で生きていく人間の心の中にいて、そっと支えてくれるものなのだそうです。
大事な人の記憶。思い出。愛情。
そういうものなのかな、と。
私は敬虔な仏教徒ではないけども、仏教のこういう考え方は好きだな。暖かい気がして。
・・そんなことをちょっと考えました。うん。
ところで原稿が上がりません。
手がつりました。腱鞘炎間近?(汗)すげ痛いんですけども〜・・。
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